TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

第9回 沖縄県沖縄市・琉球競馬 ンマハラシー その2

戦後、ズタズタとなった沖縄の馬文化。有志による競馬大会「ンマハラシー」が復活したのは70年ぶりだった。沖縄各地から会場に馬と人が集まる。

やってきた馬と人

大会当日は快晴。抜けるような南国の青空だが、風は粘りつくような湿気を含んで肌にまとわりつく。すでに10月だが沖縄の夏はまだ終わらない。

会場となる沖縄子どもの国に到着。本島中部・沖縄市にある同施設は開園30年を超える老舗の動物園だ。中心は150種類以上の動物たち。ゾウ、キリン、ライオンといったお馴染みの大型動物のほかにリュウキュウイノシシやカンムリワシなど琉球特産の動物たちがいる。馬は与那国馬に道産馬、韓国は済州島の済州馬などがいる。いずれの馬も今日の大会には出場の予定だ。

駐車場にレンタカーを入れると、馬運車が目に入った。今日の出走馬のようだ。車から降りてくる馬はいずれも小さい。体高は120cmぐらいだろうか。がれて腰骨が浮き出ている馬もいる。いくら速歩の競馬とはいえ、人を乗せて走るのにこれでいいのだろうか? しかし、かつては農繁期の後、農耕馬で参加することもめずらしくなかったという。そう考えれば、こういう馬もいたことだろう。

会場となるコースは、幅20m、長さ100m。中央で仕切られ、コースが2本。マッチレース用だ。スタートの100m先に三角コーン。ここを回って帰って来る。往復200mが舞台となる。

本部のテントがあるスタート地点から10mほど後方に馬をつなぐ場所がある。行ってみるとすでに馬装が行われていた。お祭りの衣装よろしく、鮮やかな原色の馬服で着飾った馬たち。見慣れたサラブレッドからすれば、おもちゃのような小型馬ばかりだが、これはこれでかわいい。乗り手もモンペに絣の衣装。知花織という横糸に独特の縦糸で模様を出す沖縄の織物だ。決して普段着ではなく、こういった祭りのときに切るハレの日の装束だそうだ。馬や騎手のパフォーマンス賞もあるので、衣装も重要だ。

草競馬にありがちな緊張した雰囲気はまったくない。南国の空気に溶け込んだゆるい時間が流れる。勝負というよりは、娯楽として楽しむ姿勢が先なのだろう。

沖縄各地から運ばれてきた馬たち。

コースでの練習風景。

復活の経緯

審判は3人。うちひとりは沖縄県馬術連盟会長。残りの2人も馬関係者だが、すでに80を過ぎたお年寄り。しかし、子どもの頃に実際の「ンマハラシー」を見たという、いわば歴史の生き証人でもある。3人には紅白の手旗が用意されており、勝ったと思う方の旗をあげることになっている。

関係者に復活の経緯を聞いた。

「琉球競馬のことは、イベントとしてできないかずっと考えていました。沖縄県馬術連盟に相談をもちかけ、各地の乗馬クラブや施設に協力してもらい、具体的に動き出しました。大会が始まったのが2013年です。多いときは出場も10チーム以上、馬も30頭を数えます」

復活以後、徐々に定着してきたようだ。

ふと横をみると、ポロシャツ姿の小柄なおじさんが調馬索に与那国馬をつなぎ、馬房前で子どもを乗せている。鐙も鞍も手綱もない。子どもはたてがみにつかまっている。まったくの裸馬だ。

「『乗ったことがない』とこの子がいうんで乗せてやりました。私らが子どもの頃の馬乗りはこんな感じです」

手綱をもったオーナーが飄々と語る。初めて馬に乗る子に裸馬。昔は日常の光景だったことだろう。

裸馬に乗る子供。かつてはこんなシーンも珍しくなかったはずだ。

民俗衣装に身を包んだ参加者ときれいな馬装を施された馬。