第4回 京都府京都市・上賀茂神社 賀茂競馬後編 その1
5月5日こどもの日。毎年この日に上賀茂神社では賀茂競馬(かもくらべうま)が古式にのっとって行われる。1000年以上続く行事は、人々を興奮させずにはいられない。
馬の出自
迎えた5月5日。空は晴れ上がっていた。
新緑の京都には五月晴れがよく似合う。背景にそびえ立つ山なみの緑に頭上いっぱいに広がる青空。鴨川の流れが浅瀬で白い波頭を立てる。絵画のような美しさの中、上賀茂神社へと向かう。
最初の儀式は「菖蒲の根合わせの儀」。もともとは平安時代、5月5日に行われていた殿上人と女房たちの遊びのひとつ。左方・右方に分かれて菖蒲の根の長短・大小を競い、その後に和歌を読む。
前述した賀茂競馬の起源という説がある。この故事にちなんで本番の日に行われるのがこの儀式だ。
菖蒲は「勝負」に通じ、縁起の良い植物とされる。厄除の意もこめて、今日は奉仕者全員が菖蒲を身につける。もちろん馬にもつけられる。
とりあえず、境内東側の馬房のある林へと向かう。足汰式でも使われた12頭が、4頭ずつ3グループに分かれてつながれていた。すでに馬装も終わっている。
「こんにちは」
挨拶をしつつ、輪に加わる。当初は警戒心の故か、氏人たちの口は重かった。話の流れの中でJRAの調教師だと名乗る。とたんに話がはずんだ。
「みなさんは神社の関係者の方なんですか?」
「ちがうよ。名古屋から馬を連れて来たクラブの者だ」
話を聞いて、足汰式のときにわからなかった事情が判明。彼らは、神事や草競馬など、各地の行事に馬を提供する団体。愛知が中心だが、京都や大阪などでも活動している。神社や地元組織に呼ばれて馬をもって行くのだそうだ。それ自体を職業としているわけではなく、それぞれ本業は別。馬のオーナーであり、飼養者とのこと。自分でも乗るが、乗馬クラブのようにお客さんを乗せることはしない。特に春や秋は行事が多く、週末になると各地へでかけていくという。
地方競馬で活躍した馬が主だが、中には中央3勝という強者も。どおりで速いわけだ。足汰式のスタートダッシュが思い出される。
こういった団体が行事を支えていたとは驚きだ。
この日は「童子」と呼ばれる子供の奉仕者も参加。彼らも菖蒲を身につける。
馬の頭絡にも菖蒲が付いている。
馬装するクラブの人たち。
無口頭絡
馬装が終わった馬たちをよく見れば、無口頭絡がつけられたままだ。せっかく着飾ったのだからこれははずしてもよさそうなものだが…。
「なんで無口もしてるんですか?」
「安全対策なんだ。神社や警察からいわれている」
なるほどよく見れば、ハミは手綱だけでなく、フックで無口にもつながっている。これなら外れようがない。和鞍の下には鞍ずれ対策にすべり防止マットも敷かれている。これも安全に留意してのことだろう。腹帯は見たこともない通し方をしている。しっかりはしているが騎乗者が自分では直せない。通常の競馬とはところどころ異なる馬装だ。
乗尻はあくまで同族会の会員なので馬とは行事のときだけの関係だ。3月末から乗り出してほぼ1ヶ月、週末のみの練習。いわばテン乗りだ。往時も各荘園から集められた野生馬をわずかな期間で調教して乗っていたわけだから似たようなものだろう。これも伝統にのっとっているだけかもしれない。
話を聞き馬を見ているうちに12時近くになった。各人、氏人の装束に着替える。腰には菖蒲がぶら下がっている。
馬の点検が始まった。何人かが一頭の芦毛を取り囲む。右の前脚を気にする素振り。
「ちょっといいですか」
さわらせてもらった。若干裏筋に熱を感じる。
勝負云々はあくまで儀式上のことなので、馬を壊してまでこだわることではない。ただ替わりの馬はいないので、乗尻に加減してもらうことで事態を乗り切ることになった。
普通の無口頭絡と儀式用のそれとの二重の頭絡。
芦毛馬の脚元が気になった。