TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

「一瞬の時」

サラブレッドを撮り始めたのは、かれこれ40数年前だった。

その頃テンポイントと言う名のサラブレッドが走っていた。

オールドファンならご存知だと思うが、赤毛の馬で額に流星の走る馬だった。

悲運の名馬と言われ彼は競馬を知らない人々までも魅了した。

メディアは連日彼について報じた。

その時代、競馬=ギャンブルと世間の目は冷たかった。

馬券を売っているのだからギャンブルには違いないが、現在、サッカーをサッカーくじがあるからギャンブルと思うファンはいないだろう。

ヨーロッパ、特にイギリスなどでは全てのスポーツに賭け券を発行している。

スポーツを楽しみながら賭けに興奮するのである。

私が写真を撮り始めた当時の競馬場には、ギャンブルという少しダーティーな空気が木造の古びたスタンド一杯に溢れていた。

それが20代の私には心地よく大人の遊びであり、ダンディーでクールで好ましく感じられた。

昭和の時代が流れていた。

当時はモノクロが主流のフィルムカメラでカラーフィルムは出始めたころだった。

カラーよりもモノクロ写真がかっこいい時代だった。

枚数は36枚撮りがマックス。

モータドライブ(自動巻きカメラ)も出始めたばかり。

ピントはヘリコードを動かしながら被写体を追いチャンスを窺う。

光を捜し、光を測り、絞り、シャッタースピードを設定する。

フィルム感度はASA400が最高で、雨や暗い日は、色々工夫しながらの撮影を強いられた。

雨の日はモータドライブに雨が入り込むため要注意。

思い切って手巻きでワンチャンスに賭けることもしばしば。

正に全てがアナログで、撮影自体がスリリングで楽しかった。

フィルムもレンズもそれぞれに個性豊かで、甘い雰囲気を醸し出すレンズもあれば固く表現するレンズもある。

フィルムの階調も甘いものやシャープなものと様々であった。

そしてワクワクしながら現像の上がりを待つのである。

そんな時代の競馬は写真同様、楽しくてクールであった。

競馬は人とサラブレッドの物語。

計り知れない秘められたストーリーがあり、観る人を感動させる。

名もない牧場から名馬が生まれ、競馬に無関心な人々を引き込む。

40数年前JAPANCUPというレースが出来、世界中から名馬がやってきた。

世界の名馬が目の前を疾走する。

鞍上はもちろん世界のトップジョッキーである。

本当に驚き、多くの競馬ファンは競馬場に押し寄せた。

そして今や海外レースへの挑戦が日常となり凱旋門賞に手が届くかという勢いである。

昔、社台に吉田善哉というホースマンがいた。

その吉田氏とアメリカに種牡馬の買い付けに同行したM氏は吉田氏のさりげない言葉に競馬への強い深い意志を感じたという。

吉田氏は「ハイウェイを走らず、下の道を行こうや。町々を通り抜け酒場で飯を食べ、町の人の話に耳を傾けながら、ゆっくりと時間をかけて馬を買いに行こう。」と話したと。

多忙を極める人の言葉かと驚いたそうなのである。

そしてノーザンテースト、サンデーサイレンスを見出し日本に連れ帰った。

この2頭が日本にいなければ今の日本の競馬は大きく違っていただろう。

日本のほとんどの勝ち馬が、このラインの子供達、孫たちであり世界に通じる強い馬をも生み出した。

無名の小さな牧場から名馬が誕生し、声援を送るもよし、有名牧場のエリートサラブレッドが勝鞍を重ねるのも今の時代なのかもしれない。

毎週末、半世紀以上も競馬場に足を運び続けた。

思い返すと写真も人生も一瞬の時だった。