TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

第1回 山梨県富士吉田市・小室浅間神社 その3

いよいよ祭りのクライマックス。神馬を使った流鏑馬となる。だが、的中か否かは問われないという。独特の神事がそこにあった。

神馬からの騎射

流鏑馬会場は、鈴なりの人で溢れていた。ゴール付近にはカメラを構えた人たちがたくさん立っていた。 正面からの画を狙う人たちだろう。

本殿から鳥居に続く道を神馬がやって来た。すでに人が乗っている。赤い狩衣に黒の烏帽子、手には2mほどの弓と1mほどの矢。やはり流鏑馬である以上、矢を打たないわけがない。

騎乗者は奉仕者の中から神籤(みくじ)という神事を通して決められる。馬に乗れれば誰でもできるというものではないらしい。

本殿から鳥居を抜けたところに幅5mほどの川。さっきまで通行止めだった赤い欄干の神橋がかかっている。そこを馬と奉仕者の一行が渡る。川は神社の聖と俗を分ける境界線だ。神の世界から人の世界に神馬がやってきた。

スタート地点。「朝馬」とかかれた馬房から出た神馬がいくぶん興奮気味に首を振っている。馬上から騎乗者が声をかけてなだめる。

手綱を持っていた奉仕者がゴールに馬の首をむけ、綱を放した。

神馬が走り出す。

だが走るスピードは決して速くは無い。キャンターのままだ。50メートルという距離を考えると、ギャロップではあっという間に駆け抜けてしまい、矢を射るひまがないかもしれない。

コース中央にさしかかる。あいかわらず的はどこにも見えない。騎乗者が弓に矢をつがえ、引き絞る。斜め45度の上空を狙っている。よく見ればガレージの2階に板に描かれた同心円が。

的は3mほどの間隔を空けて3つも掲げられていた。いずれも顔を上げなければ目に入らないような位置に置かれている。

騎乗者が矢を放つ。矢は的をめがけて飛んでいく。しかし 文字通り「矢のように」飛んでいくわけではない。上空へと放たれた矢にはあまり力強さを感じない。

流鏑馬と言えば疾走する馬上から鋭い矢が的を射抜く豪快なイメージだが、まったく別物に思える。

上にある的に向かって騎射。

ガレージ群の2階にある的。

蹄跡で吉凶を占う

馬がゴールすると、羽織、袴で正装した占人(うらびと)と呼ばれる人たちが地面を見ながらゆっくりとスタートからゴールへ歩いていく。彼らが蹄跡を見る。代々世襲の家系なのだそうだ。

吉凶を占う誠に厳粛な時間なのだろうが、意外にまったりとした空気が流れる。 占人もそれを見つめる観客も無言。

吉凶はその場ですぐ伝えられるものではなく、その日の夜、神社の宮司に書状で渡される。さらにこれが祭りのあと各町で行われる「御日待ち」という行事の中で披露され、やっと結果がわかる。「御日待ち」は同じ町内の仲間が一夜を眠らずに籠り明かし、翌朝の日の出を待って解散する民間の信仰行事のひとつ。吉凶は簡単には教えてもらえないというわけだ。

最後に「朝馬」「夕馬」の神馬たちは「山王馬」となる。山王馬は騎射することなく、馬場を駆け上がる。富士山に神様が帰る様子を表しているという。神様は春、種まきの時期にやってきて、秋、収穫とともに山に帰る。この神事は、それを表象している。

全てがゆったりと流れ、沈黙の中で行事が進む。 けっして派手さはないが、長い村落の伝統がしっかりと感じられる祭事だった。

蹄の跡を見ていく占人(うらびと)。