TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

第1回 山梨県富士吉田市・小室浅間神社 その1

日本が誇る世界遺産、霊峰・富士。その裾野に富士吉田市がある。下吉田の古社・小室浅間神社に神馬がいた。1,000年以上続く独特の神事に使われている。古式ゆかしい儀式に登場する馬たちの活躍を追う。

小室浅間神社の神馬

境内は凛とした朝の空気の中に慌ただしさを含んでいた。お揃いの半纏を来た人たち、白い裃を着た人たち、総勢20人以上が各々の持ち場で働いていた。注連縄の張り具合を調べる人、庭を掃き清める人、受付の机を用意する人。そんな中、特に多くの人が集まる一角があった。東南角に建てられた平屋建ての建物の前。人々が集まる輪の中心に馬がいた。神馬だ。

山梨県富士吉田市下吉田。富士急行下吉田駅にほど近い町の中心街に小室浅間神社はある。坂上田村麻呂が東征の途上に立ち寄って、この地で必勝の祈願をしたことを縁起に、1200年以上の歴史がある古い神社。小学校の校庭ほどの敷地には、唐破風造りの大きな本殿や式殿、さまざまな社など、大小10棟近くの建物が配されている。樹齢600年以上の巨木があったり、噴水のある池があったり、古社としての格式を感じる。 そんな境内に、神馬舎がある。

「神馬」と書いて「しんめ」と呼ぶ。神が乗る馬として神社に奉納された馬のことだ。普段から神社の廐舎に馬房が与えられ、 信仰の対象として厚遇されている。神事ともなれば、華やかな飾り付けを施され、神様の代理となって境内を、街を練り歩く。

その昔は、古い格式のある大きな神社には必ず馬がいた。記録では927年に完成した延喜式の中に神馬の記述がある。さらに鎌倉時代には武士たちが戦勝祈願に奉納したという記録が、各地の神社にある。時代が下がるにつれ、生きた馬の飼養が難しくなったのか、木の像に変わるケースも増え、最終的には、板に絵として描かれることになった。絵馬の起源は神馬なのだ。

飾り付けは、馬房前の洗い場に出された二頭の馬に施されていた。特に目立つのは、頭部にある角。直径2センチ、長さ15センチほどの棒が前髪につけられている。傍目には、一本の角が生えているように見える。 二頭いる神馬のうち、一頭は赤で、もう一頭は緑だった。仕上げに白い布がかぶせられ、外からは見えなくなる。大切なご神体、神様の体の一部としての扱いだ。神事が始まれば、白い布は外され、一般に供されることになるのだろう。

神馬となった二頭はともに体高150センチ以下の黒鹿毛の小型馬。道産子や木曽馬など「和種」と呼ばれる日本在来馬の血が入っている。サラブレッドと比べると明らかに小さいが、ふつうの大人が乗る馬としては十分だ。

静岡・富士吉田市の古社「小室浅間神社」

境内にある神馬の廐舎「神馬舎」

神馬舎のつなぎ場。神馬が馬装されていた。

引退後の競走馬

神馬舎には馬房が三つあり、飾り付けを施される気配のない馬がもう一頭いた。明らかに他の二頭とは違う。サラブレッドだ。

馬の名前は「トキン」。 四歳の牡の栗毛馬で元競走馬。故障で引退を余儀なくされ、引退後、ここへやってきた。同じサラブレッドの先代が亡くなり、その後釡となった。

祭事には参加しない 。ただ一頭、暗い馬房に取り残されたその姿は、周りの華やかさに比して寂しげだ。

引退後のサラブレッドを乗馬として使うケースは少なくない。種牡馬や繁殖馬になれるサラブレッドはごく一部。大半は乗馬として登録し直されるが、結局肥肉業者に渡る場合も。厳しい現実がそこにある。

それでも乗馬クラブや大学の馬術部等には引退した競走馬がたくさんいる。ただもともと乗用馬として生産された馬とは決定的な違いがある。運動能力は卓越していても、 普通の人が乗るには気性が荒すぎる。速く走ることを唯一の生存条件として生まれ、調教されてきた馬たちなのだから当然だ。 騎手や調教助手など、特別な訓練を受けてきた人たちだからこそ乗りこなせる。いくら乗馬経験を積んだベテランのインストラクターでも、競走馬を乗りこなす技術は身につかない。まして素人に乗れる訳がない。

そこで競走馬から乗馬へ徹底した再訓練が施される。中にはサラブレッドのわりに気性がのんびりした馬もいないわけではない。そんなごく一部の特別な馬が、乗用馬として、第二の「馬生」を送ることができる。JRAから抹消されたとはいえ、彼らもある意味「エリート」なのだ。

引退した競走馬。神馬となった。