TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

第6回 滋賀県近江八幡市・御猟野乃杜 賀茂神社 馬上武芸奉納祭り その1

第5回で紹介した「御猟野之杜 賀茂神社(みかりののもり かもじんじゃ)」は「馬の聖地」として全国の馬関係者に知られている。中にはここを活動の舞台の一部にしている団体もある。紅葉台木曽馬牧場もその一つ。鎌倉時代の騎馬武者の技を、神社に奉納する催しを行っている。

往時の再現を目指す

鬱蒼と繁る杉や檜に囲まれて、その道は一直線に伸びている。未舗装の土の道は早朝からそぼ降る雨に濡れ、湿気を含んで柔らかい。端に沿って歩くと、木々から滴り落ちる水滴が、時折肩にかかる。あたりは霧状の空気に包まれ、神秘的な雰囲気を醸し出している。御猟野之杜 賀茂神社の境内には厳かな時が流れていた。

「馬上武芸、奉納仕り候!」

突然の大声が静謐を打ち破る。霧の彼方から現れたのは、鎌倉時代の狩装束に身を包んだ騎馬。手には人の身長ほどの旗竿。幅50cm、長さ2mほどのえんじと白の流し旗が、たなびいている。馬のスピードが一段と上がる。神事「馬上武芸奉納祭り」が始まった。

流鏑馬を中心としたこの馬上武芸奉納祭りは通常の神事とは異なり、紅葉台木曽馬牧場が主催する特別神事だ。

流鏑馬の原型は大和朝廷の時代に行われていた騎射(ひきゆみ)。時代が下がるにつれ、馬上からの弓術の一つとして進化した。武術鍛錬の方法としてだけでなく、儀式的、宗教的意味合いもある。天下太平・五穀豊穣を祈念する神事の一つ。現代でも神社等で奉納が行われるが、サラブレッドなど軽種馬が使われるのが現状。現代の馬事情を考慮すれば当然のことだが、紅葉台木曽馬牧場の菊地幸雄氏はこれに異を唱える。

「和種馬は日本人の体型に合った馬です。武芸の動きを再現するには、欠かせない存在のはずです」

氏は現代では失われた、和種馬による古式馬術の復興を目標に掲げた。

和鞍や和鐙といった馬具はもちろん、狩衣などの衣装もそろえた。無いものは自らの手で作る熱の入れようだ。所作や技術も徹底的に史料をあたり、研究した。各地で志を同じくする乗り手とともに「甲州和式馬術探求会」を立ち上げ、代表となっている。

情熱と実践を通して得た技術の集積によって、往時の再現をめざす心意気には、胸を打たれるものがある。

往時の衣装を着て、神事に備えるメンバー。

和種馬にも神事用の独自の馬装を施し、準備万端。

流鏑馬に使う弓と矢を準備。

古式馬術

行事の舞台は「足伏走馬(あしふせのそうめ)」が行われるのと同じ参道。流鏑馬や武芸の披露に適した十分な広さと観覧スペースがある。

武芸開始の前、いくつかの儀式が行われる。

流し旗もそのひとつ。馬の走力が起こす風で手に持った旗がたなびく。旗には神社の紋である「双葉葵」。神事開始を告げる先触れの儀式だ。

古い言い回しに「一旗揚げる」というものがある。事業などを起こし、成功に導くの意だが、語源はこの儀式にあるという。

次は鈴の音が聞こえてきた。巫女の衣装をまとった女性が乗った馬が三騎、馬場中央に進み出る。鈴の音は先頭の一騎から。続く二騎の女性は手に扇子を持ち、静かに振りかざす。鈴も扇子も穢れを祓うためのもの。

「馬上舞(ばじょうまい)」と呼ばれる、神事の前に馬場を浄める大切な儀式だ。

馬は速歩をしているのに、馬上の3人にさして乱れはない。古式馬術でいう「立ち透かし」という技だ。体を安定させ、馬の揺れを最小限に押さえる。美しい姿勢を馬上で保つための技だが、もともと反動が少ない和種馬だからこそ安定度が増し、より美しく見える。

和種馬は体高が低く、130~140cm程度。西洋式の分類ではポニーの類だが、イメージより脚が太く短い。蹄も丈夫で少々のことではへこたれない。胸幅も厚く、力強い歩様が繰り出せる。日本の気候風土にも合っており、病気になりにくい頑健な体を誇る。

また、体が小さい故に小回りが効き、険しい山道や悪路をものともしない。日本のように山道の多いところではかっこうの乗用馬となる。合戦の際にも多いに活躍したことだろう。

流し旗を片手に持ち、参道を駆けながら神事の開始を告げる。

鈴の音が参道に響く。

「立ち透かし」による「馬上舞」。