TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

第5回 滋賀県近江八幡市・御猟野乃杜 賀茂神社 足伏走馬 その1

古式競馬といえば第4回で紹介した京都・上賀茂神社の「賀茂競馬(かもくらべうま)」が有名だが、実は全国にもうひとつある。それが、同じ賀茂の神様を祀る滋賀県近江八幡市の「御猟野乃杜 賀茂神社(みかりののもり かもじんじゃ)」で5月6日に行われる「足伏走馬(あしふせのそうめ)」だ。

古式競馬開催の起源

京都・上賀茂神社の創建から遅れること約50年、奈良時代の736年に創建された「御猟野乃杜 賀茂神社(みかりののもり かもじんじゃ)」は、御祭神に賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)など賀茂の神様たちを祀る古社だ。実は創建の由来を探ると、馬との関わりはこちらの方が古い。

そもそもなぜこの地に神社が建てられたのかというと、ここに時の朝廷によって設けられた日本初の国営牧場があったからである。

歴史を紐解くと、国営牧場が開かれた経緯もはっきりしている。663年、朝鮮半島への進出を目論む大和朝廷は半島へ遠征し、同地で中国の唐、朝鮮の新羅の連合軍と激突した。「白村江(はくすきのえ)の戦い」である。散々に打ち負かされた朝廷は、逆に唐・新羅連合軍が日本に攻めてくることを恐れ、軍事力の強化に努めた。馬はその主力であったため、繁殖と調教に力を注ぐことを決意する。

そこで目をつけたのが、琵琶湖にほど近く、船による輸送の便がよく、かつ牧場に適した広大なこの地だった。こうして日本初の国営牧場が生まれた。

馬の訓練のために狩猟が行われる直轄地でもあったため、「御猟野乃杜」と呼ばれるようになった。

時代が下り、奈良時代に天変地異が起こった。時の聖武天皇が民の動揺を収め、幸せを祈念する神社を、陰陽道に基づくパワースポットでもある同地に作らせた。こうして牧場と神社が結びついたのである。

以来、全国の馬事関係者の尊崇を集め、「馬の聖地」として知られるようになる。今でもその流れは続いており、御祭神の賀茂大神は、全国随一の「馬・馬事・競馬・乗馬」の守護神といわれている。

さらに時代が下り、平安時代末期に時の後白河上皇が、上賀茂神社だけでなく、皇室の領地であり、馬の聖地でもあったこの地でも宮中儀式でもある古式競馬を行うよう命じた。それが「足伏走馬」の起源となる。由緒正しいという意味では賀茂競馬と遜色がない。

「御猟野乃杜 賀茂神社(みかりののもり かもじんじゃ)」。創建は奈良時代の736年。

本殿には大きな絵馬がかけられている。

地域に根ざした神事

足伏走馬当日、東京ドーム2つ分の広大な森の中にある同社の境内は活気に満ちていた。古式競馬が行われる走路は幅約10m、距離400mの直線。両サイドには古木がびっちりと生え揃っている。普段は荘厳な雰囲気が漂う場所だと思われるが、今日は違う。

すでに馬場の両サイドにはロープが張られ、カメラマンの場所取りが行われていた。直線半ばすぎのわずかに陽が差す場所をみんな狙うので、そこだけ三脚の密度が濃い。わずかなスペースを見つけ、バッグを置く。時間は午後1時。午後3時スタートなので、まだ間がある。境内を一回りしてみることにした。

小学校の校庭ほどの広さに何棟かの社が建っている。お祭りを示すのぼりが風にはためき、一の鳥居から続く参道には屋台がびっしりと並んでいる。大勢の人であふれている。観光客というよりは地元の人が多いようだ。小学生ぐらいの集団が、屋台の食べ物を口にしながら走り回っている。村のお祭りといった雰囲気だ。

そんな喧噪の中に馬たちの姿を見つけた。全部で七頭。特に馬房のようなものはなく、おそらく馬のオーナーだろう、そばに手綱を持った人が立っている。人々がその周りを取り囲み、さかんに記念撮影。賀茂競馬とはだいぶ雰囲気が違うようだ。馬は軽種と和種が半々。みんな競馬の日だというのにすこぶるおとなしい。普段から乗馬クラブなどで使われている馬なのだろう。

先頭の一頭には榊がつけられているが、他は特別な装備はなく、鞍と鐙は普通のブリティッシュのもの。引き手も特に衣装はない。

祭り半纏人々が境内に集う。

用意された馬たち。軽種がメイン。

走路となる参道にはカメラを手にした観客が集まっていた。