第2回 京都府京都市・上賀茂神社 白馬奏覧神事 その3
神事を無事終え、神馬舎にもどった神馬。もともとは白馬ではなく、この神事には別の毛色の馬が使われていた可能性があるという。神馬担当の神主さんが話してくれた。
別の解釈
神馬舎向かいのテントには七草粥を求める人の列ができていた。
「馬年のときはもっと人が多かったんですよ」
神馬担当の神主さんが話してくれた。
気になっていたことを聞いてみる。
「この神事はいつごろからあったのですか?」
「鎌倉時代の文献にはすでに白馬を使った神事の記述がありますから、おそらくはそれよりも古い時代に始まったと思います。もともとは『白馬節会(あおうまのせちえ)』という宮中の行事が神事化されたものです」
「白馬」とかいて「あおうま」と読ませる。もともとは青鹿毛の馬を使っていたのかと思っていたが、神主さんの解釈は違った。
「青い毛を持った『あおげ』という馬の種類があったのではないかと思います。白い毛は毛の質と光線の加減で淡い青色に見えることがある。『青白くすきとおる』なんて表現をしますよね。あんな感じの毛色の馬がいたのではないでしょうか? 希少価値の故に高貴な人、つまり神様が乗る馬として認知されていた。しかし時代が下るにつれ、『あおげ』の馬がいなくなり、単なる白馬を代用するようになった。そして呼称だけが残り、『白馬』が『あおうま』になったというのが私の説です」
「白馬」と書いて「あおうま」と読ませるのは少々強引な印象だが、それだけ重要な儀式だったといえるのではないだろうか?
二の鳥居を出て、拝礼。儀式は滞りなく終了。
神馬舎にもどって馬装を解く。
神馬の出自
神主さんはいう。
「ちなみに、六代目神山号にとっては一年で最大の仕事ということになります。競べ馬や葵祭のときは神馬は使いませんから」
一年に一度の晴れ舞台。
実は神馬は元・競走馬だった。かつての晴れ舞台はレース。人々に期待され、注目される点では、神事のときもかわりはない。
「当社では馬が二十歳を迎えたら神馬を代替わりさせることにしています。2011年当時、五代目が二十歳になるので新しい白馬を探していました。JRAから推薦されたのが、当時中山の乗馬センターにいた、この元・競走馬でした」
「来た当初からだいぶうるさい馬でした。いつもは近くにある京産大の馬術部の馬房にいます。いつもここまで連れて来るのにひと騒動で。暴れるわ、いやがるわで誰も牽きたがらない。しかたなく、馬運車を買いました」
専用の車で出勤とは、まさに神様並みの待遇だ。
「今はずいぶん静かになりました。さっきの神事でもおとなしくしていましたし…」
視線を向けると、神馬は参拝客に囲まれ、写真を撮られたり、神社で用意したニンジンをもらったりしている。
引退して競馬場を去っていく数多くの元・競走馬に比べ、間違いなく幸せな馬生といえそうだ。
「今度は5月5日の『賀茂競馬(かもくらべうま)』も見に来てください。神山号は出ませんが、馬文化を今に伝える伝統の行事ですから」
神主さんにいわれ、春の再会を約した。
神馬舎でリラックスする神馬。