TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

ローズキングダムを、
預かる覚悟は、引退競走馬のための
牧場をつくることへの挑戦だった。

2025年秋、牧場を訪ねると、駐車場には数多くのレンタカーが並んでいた。北海道の玄関口、新千歳空港から車でおよそ1時間の沙流郡日高町にある「Yogiboヴェルサイユリゾートファーム」は競馬ファン、サラブレッドファンの人気スポットだ。

「普段でも1日に100人ほど。多い日は500人以上のお客様に来ていただいています」
と話してくれたのは岩崎崇文代表だ。

なぜYogiboヴェルサイユリゾートファームがこれほど注目される存在になったのか。この牧場では、競走馬として現役時代に活躍した引退競走馬50頭ほどがのんびりと暮らす。障害界の絶対王者だったオジュウチョウサン、皐月賞馬エポカドーロ、ダービー馬エイシンフラッシュなど、そうそうたるメンバーを間近で見ることができる。受付をすれば、見学は無料だ。場内にはグッズショップやカフェ、さらにはホテルまで完備されている。競馬ファンなら一度は足を運びたくなる場所だ。

岩﨑代表は大学卒業後、就職が決まっていたが、それを断って北海道の牧場にやって来た。義父が経営していた牧場を引き継いだ。がんに侵されていた義父の「牧場を残してほしい」という遺言に従った。小学校から大学まで乗馬をやっていた岩崎代表だが、牧場経営は未知の分野だった。
転機が訪れたのは2018年だった。種牡馬を養うブリーダーズ・スタリオン・ステーションの知り合いからローズキングダムを預かってくれないかという相談を受けた。種牡馬として活動していたローズキングダムは馬房の中でアクシデントに遭い、半身に麻痺が残る状態になり、2014年に始めた種牡馬としての活動はできなくなった。

「ローズキングダムを預かると、その反響は驚くほどでした。問い合わせが多く、生産活動に影響がありました」

父親から受け継いだ生産牧場とは別に引退競走馬の牧場をつくろうと考えたのは、ローズキングダムの受け入れがきっかけだった。ヴェルサイユファームの近所に引退競走馬のための牧場を探し、現在の場所を見つけた。ローズキングダムは、Yogiboヴェルサイユリゾートファームの生みの親といっていい存在だ。
ローズキングダムは体調さえよければ、牧場の入り口を入ってすぐの場所で放牧されている。「気持ちの浮き沈みはありますが、喜怒哀楽のはっきりした性格です」と岩崎代表。牧場の顔として来場者をお迎えしているかのようだ。

ローズキングダムは2007年にノーザンファームで生まれた。父は日本ダービー馬のキングカメハメハ、母はフィーリーズレビューなどJRA重賞で2勝したローズバドだ。この世界では「薔薇一族」として知られる母系の出身である。

この母系の基礎になったのは1988年にフランスで生まれたローザネイだ。「薔薇の妖精」という意味を持つ馬名の牝馬は日本に輸入されて、次々と活躍馬を送り出した。第1子の牝馬ロゼカラーは1995年にデイリー杯3歳S(当時)で優勝。母に重賞初優勝をプレゼントした。

第2子の息子ロサード(薔薇色の、という意)は2002年のオールカマーなど重賞レースで5勝も挙げた。その後もローズバド(薔薇のつぼみ)、ヴィータローザ(薔薇色の人生)、ローゼンクロイツ(薔薇十字軍)と薔薇一族は活躍した。

しかし叶わない夢があった。最高峰のGIタイトルだった。2着や3着と上位には食い込むのだが、優勝だけができなかった。この悲願を達成したのが「薔薇の王国」と命名されたローズキングダムだった。

滋賀県の JRA栗東トレーニング・センターにあった橋口弘次郎調教師の元に預けられたローズキングダムは2009年10月に京都競馬場でデビューした。ゴール前は2頭のマッチレースになったが、競り勝って1着でゴールした。破ったのは1番人気のヴィクトワールピサ。のちに皐月賞、さらにはドバイワールドカップで優勝する強豪だった。

白星で競走生活をスタートしたローズキングダムは1カ月後に東京スポーツ杯2歳Sに挑んだ。単勝3.6倍の1番人気に支持されたローズキングダムはトーセンファントムとの接戦をアタマ差で制し、デビュー2連勝で重賞初制覇を果たした。

そして迎えたのが12月のGI朝日杯フューチュリティSだった。16頭立ての8番枠からスタートしたローズキングダムは最後の直線で小牧太騎手のステッキに応え、前を行くエイシンアポロンを捉え、先頭でゴールした。薔薇一族悲願のGI制覇が達成された瞬間だった。小牧騎手は何度も左手でガッツポーズを繰り返した。

3歳になったローズキングダムは惜しいところでタイトルを逃した。皐月賞は4着、ダービーは2着、そして菊花賞も2着だった。菊花賞の後、ローズキングダムはジャパンカップに向かった。デビュー8戦目にして初めて年上のメンバーとの顔合わせだった。5、6番手を進んだローズキングダムは最後の直線で優勝争いに加わった。しかし残り約200メートル付近で外から襲いかかったブエナビスタに進路を妨害され、行き脚を失った。それでも盛り返してなんとか2位で入線した。JRAの判定は1位入線のブエナビスタを2着に降着とし、ローズキングダムを繰り上げ優勝とした。思わぬ形で2つ目のGIタイトルを手にした。6歳まで競走生活を続け、25戦6勝の成績を残した。

ローズキングダムをきっかけにスタートしたヴェルサイユリゾートファームは2021年にYogiboとネーミングライツ契約を結んだ。 Yogiboのビーズクッションにアドマイヤジャパンが寝転がるテレビCMは有名だ。岩崎代表は引退競走馬の牧場として「自立」することを目指し、スポンサー企業を募ったり、新しい厩舎の建設のためにクラウドファンディングを行うなど、これまでにない活動をする。SNSでの発信も盛んだ。

そして、その想いは珠玉のダービー馬、
タニノギムレットを迎い入れ、
競走馬が引退後も活躍できる場へ。

ローズキングダムと並ぶ牧場の人気者がダービー馬タニノギムレットである。厩舎の中で触れ合ったり、一緒に写真撮影のできたりするグリーティングというイベントでは常に定員がいっぱいになるほどだ。また「特技」があり、それが話題を呼んでいる。その特技とは牧柵壊しだ。以前暮らしていた牧場でも同じいたずらをやっていたそうだが、後ろ脚で牧柵を蹴り壊すのだ。危険な行為なのに、なぜか自身はけがをしない。牧場では「牧柵破壊神」の異名で呼ばれている。

タニノギムレットは2002年のダービー馬である。父はブライアンズタイム、母はタニノクリスタルという血統だ。栗東の松田国英調教師に育てられたタニノギムレットは2001年8月に札幌競馬場でデビューし、2着となった。同年12月のレースで初白星を挙げると、翌年3月のスプリングSまで4連勝。うち3勝を重賞で飾った。

皐月賞は単勝オッズ2.6倍の1番人気で臨んだが惜しくも3着。続くNHKマイルCはオッズ1.5倍という断然の1番人気に支持されたが、皐月賞に続いて、またしても3着と2度続けてGIの壁に跳ね返された。NHKマイルCの3週後、タニノギムレットはダービーに挑んだ。前2戦、勝ちきれないながら、けた違いの末脚でゴール前追い込んでくる伸び脚にファンは期待をかけた。GIレースで3戦連続の1番人気となった。

武豊騎手を背にしたタニノギムレットは最後の直線で大外を伸びた。レースは5頭が横一線になる激戦になった。その争いから1馬身抜け出したのがタニノギムレットだった。2着から5着まではアタマ、アタマ、クビという接戦だった。ついにつかんだGIタイトル。しかし、このレースがタニノギムレットのラストレースになった。左前脚を傷め、現役引退を余儀なくされた。

2003年に種牡馬になった。1年目の産駒であるウオッカが2007年にダービーで優勝した。牝馬のダービー制覇は実に64年ぶりの出来事だった。2020年まで種牡馬として頑張り、Yogiboヴェルサイユリゾートファームに移動してきた。

「初めてウチに来たダービー馬でした。年を重ねましたが、元気で頑張ってくれています」と岩崎代表。2026年で27歳になった。生きているダービー馬では最年長である。

Yogiboヴェルサイユリゾートファームでは、引退競走馬が第2、第3の馬生を送っている。岩崎代表の夢は同じような引退競走馬のための牧場を本州にもつくることだ。「ここは北海道なので、お客様にとっては距離が遠い。本州にもあれば、もっと身近になる。引退後も馬の働ける場所をつくれたらいいと思う」

現役競走馬や種牡馬、繁殖牝馬なら自ら収入を得ることができる。しかし仕事を引退すると、途端に稼ぐ方法がなくなる。岩崎代表はその問題を克服するため「自立」した引退馬のための牧場経営に挑む。

タニノギムレットはきょうも元気に牧柵を蹴っているだろうか。

※ローズキングダムのゴールの写真(2009年朝日杯フューチュリティS優勝)はJRA提供

2026.03.30

コラム一覧