第16回 北海道・別海町 馬事競技大会 その1
北海道の東、釧路、根室、別海、中標津のあたりは、戦前から馬との縁が深く、馬事競技も盛んな地域だった。今でも町が管理する立派な草競馬場がある。日本の馬事文化を守る最後の砦のひとつといってもいい。そこで、何が行われていたのか? 今も続いているものは何か? 紹介したい。
道東の馬事文化
北海道のサラブレッド生産地といえば、戦前から日高地区だった。これに対して、釧路・根室管内つまり道東は輓馬(ばんば)用の重種馬が中心。初めて日本産の重種馬が生まれた土地でもある。
農耕用や運搬用にも馬の生産が行われてきたが、メインは軍馬だった。日露戦争後に軍馬補充部という組織ができ、根室にも支部が置かれた。良い馬なら、普通の買い上げの何倍もの値段で軍に買ってもらえる。当然、牛よりも馬ということになる。こうして軍馬となった道東産の馬たちは、満州やシベリアといった極寒の気候によく耐えた。道東は良質な軍馬の産地として有名になった。
戦後は軍の解体により馬産農家は激減した。変わって伸びてきたのが酪農。馬から牛への転換は見事に成功し、道東は酪農王国へと生まれ変わった。
それでも、ノウハウは残り、愛好家の手によって馬産は続いた。ひとつの成果が、草競馬大会。毎年、夏から秋にかけて、道東各地で行われた。駆けのレースだけでなく、ばんばの競走もある。観客はもとより、馬を連れてレースに参加するアマチュアジョッキーが北海道各地からやってきた。浜中、根室、別海、中標津と各草競馬大会は季節になると大勢の人で賑わった。
明治時代に初めてつくられた日本産の重種馬「日本釧路種」の銅像

別海競馬場にある「別海町開拓の馬」の像。道東と馬の歴史を記念して建てられた。
道産子F1レースに参加
30年近く前、草競馬の時期になると、道東に足を運んだ。中標津や別海で行われたレースに、馬を借りて出場したこともある。中でもムツゴロウさんこと作家の畑正憲さんと一緒に出た中標津でのレースは忘れられない思い出だ。
その日、中標津町の南のはずれにある南中競馬場は快晴だった。出場したのは、「ムツゴロウ杯」。道産子のF1で1000mを争うレースだった。
F1とは遺伝学における雑種の1代目のこと。この場合はサラブレッドのような軽種馬と掛け合わせた道産子(どさんこ)の雑種のことだ。当然ながら、普通の道産子よりはかなり速い。レースには、動物王国の馬だけでなく、近隣の牧場の馬も参加していた。頭数は10頭以上。結構盛況だった。もちろんムツゴロウさんも騎乗する。
レースが始まる。前を見ながらのんびり最後方を走った。レースの中心はもちろんムツさん(親しい人はこう呼ぶ)。大柄な、いかにも走りそうな馬で先行集団を引っ張っている。
4コーナーを回り直線を向いたところで、集団がばらけた。いち早くムツさんが抜け出す。自分も後ろにつけて騎乗ぶりを眺めていた。もちろん抜かすつもりはない。ここまでくれば、ムツさんが勝った方が盛り上がる。自分は馬場監視員代わりの参加なので勝負には関わらないつもりだった。
突然、1頭の馬が自分の馬の脇をすり抜け、ムツさんを負かしにいってしまった。ムツさんも派手なフォームで馬を追うが、思ったほど伸びない。直線半ばで交わされた。
「これはいけない」と思い、先頭の馬に注意するつもりで、ちょっと加速した。気がつけばゴール。ちょっとのつもりが意外に馬が伸びて、先頭の馬を差してしまった。結果的には1着になったが、ともかく恥ずかしかった。今でもあの時のことを思い出すと冷や汗が出る。20年以上前の夏の日の思い出だ。
残念ながら中標津での草競馬大会は今はない。2013年を最後に大会はなくなり、南中競馬場も閉鎖になった。道東からまたひとつ馬事文化が消えた。

20数年前、中標津の南中競馬場で行われた草競馬「ムツゴロウ杯」に出た時のゴール前。

今は閉鎖された中標津の南中競馬場での草ばんばの様子。

20年前、最後に出た草競馬での一コマ。別海競馬場にて。