第12回 福島県相馬市・相馬野馬追 後編 その3

相馬野馬追はもともと牧と呼ばれる官営の牧場から軍馬となる野生の馬を選抜し、とらえる行事だった。現代でも「野馬懸(のまかけ)」として受け継がれている。それは祭りの締めにふさわしい神事だった。
駒とり竿
相馬野馬追の最終日、午前9時。相馬小高神社では祝詞が奏上され、馬をとらえる御小人(おこびと)がお祓いを受ける。神官より差し出されたお神酒を飲み干す。祭場が塩で清められ、20騎ほどの騎馬が野馬の待つ坂下の馬場へと降りていく。野馬を囲み、一気に坂を駈けのぼらせる役を負う。「追い込み騎馬」と呼ばれる。
「馬、上がるぞ〜」
声とともに複数の蹄音が聞こえてきた。騎馬に囲まれて芦毛の裸馬が坂を上がる。竹矢来に入ると、所在無げにあたりを走り回る。追い込み終わった騎馬が出口から出て行くと、それについていこうとするが追い払われる。
同じようにして、2回、1頭ずつ、追い込まれてきた。こちらは黒鹿毛と鹿毛。つごう3頭が中にいる。いずれも若駒だ。
裃で正装した役付の侍が、先端に藁束をつけた4メートルほどの竹竿を抱えて現れた。「駒とり竿」と呼ばれる。境内の御神水舎(おみたらししゃ)から汲んできた御神水に藁束を浸す。藁束を馬の背に押し付け、その馬が神馬になることの目印とする。
長い駒とり竿に振り回され、なかなか馬に先端を押し付けることができない。ひらりひらりと逃げていく。往時は、今より広い場所で20頭ほどの馬が追い込まれてきた。駒とり竿で御神水を馬に付けるのもさらに難しかったはず。今回の目標はもちろん芦毛馬。何回か、試みてようやく、タッチ。これで神馬が決まった。芦毛馬めがけて一斉に御小人たちが群がる。
一緒に動こうとする芦毛馬を他の2頭から切り離す。1頭になったところに一人の御小人が馬の側面から飛びつき、たてがみをつかもうとする。素早く体を反転させて、これをふりほどく芦毛馬。竹矢来の端へと追い詰める御小人たち。一瞬、止まったところを一人が馬の首に抱きついた。他の御小人もチャンスとみたのか一斉に群がる。
首尾よく捕まえたので、これで終わりかと思いきや、群がった御小人たちが後ろから馬をけしかける。再び駈け出す芦毛。往時の様子を再現した御小人役のちょっとしたパフォーマンスなのだろう。竹矢来を囲んだ観衆からさかんに声援が飛ぶ。

竹矢来に追い立てられてきた野馬役の馬。

駒とり竿を構えて野馬を待つ御小人(おこびと)の長。

神馬に指名された芦毛馬を捕まえようとする御小人たち。

振り払われた御小人。暴れる馬を素手で押さえつけるのは容易ではない。
駒競り
馬を素手で捕まえる行為はいうまでもなく危険だ。本物の野生馬ではまず不可能。形は野馬だが、野馬追に参加しているほとんどの馬は元・競走馬。すでに馴致を受けているので、捕まえられない、ということはない。往時も、牧に放牧されていた藩所領の馬を行事に使ったとあるので、まったくの野生馬とは違ったはずだ。
神馬となった芦毛馬を除く黒鹿毛と鹿毛が役付の侍たちの前に引き出された。台の上に立った係の合図で「駒競り」が始まる。
「70両」「80両」
声が飛ぶ。単位が「両」なのはご愛嬌だ。
往時の競りの様子が再現される。こうして、野馬が取引され、上級職の侍のものとなる。野馬懸で入手した馬は特別な馬としてきっと大事に使われたに違いない。
野馬懸は野馬追の棹尾を飾る伝統の神事だが、厳かな中にも何かホッとした空気が流れている。もちろん荒れ狂う悍馬を捉える御小人は、一瞬の油断が命取りになる危険な役だ。それでも行事を楽しんでいるように思える。甲冑競馬や神旗争奪戦の緊張から解放された後のイベントだからだろう。
相馬野馬追の3日間が終わった。何よりも感じるのは地元の熱気。そしてこの行事にかける武者たちの熱い思い。多くの人が子供のときから行事に親しみ、30年以上、一生をかけて参加し続けている。野馬追に出ることは、彼らにとって「生きる」ことなのだろう。継続していくことの凄さがそこにある。まして震災、放射能汚染と未曾有の災難のあとだ。困難に打ち勝とうという強い意志が、祭り全体に現れている。すっかり感服しながら相馬市をあとにした。

捉えた芦毛馬は神馬として神様に奉納する。

残った2頭も捕まえようと悪戦苦闘。

神馬以外の2頭はその場で競りにかけられる。往時は藩の高官が落札した。