TAW Thoroughbred Aftercare and Welfare

第11回 福島県相馬市・相馬野馬追 前編 その3

雲雀ヶ丘祭場に集合した馬と侍たち。すでに競馬用のコースは整備されていた。初日は「宵乗り競馬」、2日目の午前中は「甲冑競馬」と侍たちのレースが続く。

宵乗り競馬

初日の草競馬となる「宵乗り競馬」は藩主に馬術の腕前を披露するためのもので、白の鉢巻、陣羽織姿で馬に乗る。2日目の甲冑競馬へ向けての前哨戦であり、リハーサルといったイメージだ。翌日への負担も考慮し、参加頭数は多くはない。

スタンドから競馬を見る。賀茂競馬を始め、和鞍・和鐙のサラブレッドによる競走は何度か見ているが、1周1000メートルに4つのコーナーと本格的な競馬は初めて。不安定な騎座で、小回りのコーナーをギャロップで駈け抜ける度胸には脱帽だ。かなり練習を積んだ腕達者が乗っているようで、意外に器用に回っていく。

「おお〜!」

観客がどよめく。スタート後、最初のコーナーを回り切れず、1頭の馬が外ラチへ向かって吹っ飛んでいく。コーナーの頂点付近に馬の出入り口があるので、本能的にそちらへ行こうとしたのかもしれない。埒(らち)には鈴なりの人。人波が分かれていくのが遠目にも見えた。

入ってきたところから出ようとするのは馬の本能だ。そこを制御して、行かせないのが技術。ただ、あのスピードでコーナーに突っ込めばプロでも振られる。まして技術がない乗り手では、抑えきれるものではない。

馬は外埒にぶつかる直前で急停止。乗り手はもんどりうって落馬したが、幸いケガはなかった。放馬した馬は、1周回って再び1コーナーの出入り口へ向かう。たまたま、外埒の内側にあった垣根との隙間に入った。身動きがとれなくなったようだ。これならつかまえられるだろう。

こうして宵乗り競馬が終わり、神輿の移動とともに、行列は会場から去っていった。翌2日目、祭事はクライマックスを迎える。

砂塵をあげてコーナーを回る騎馬たち。

埒を進む騎手が落馬。一瞬ハッとしたが、無事だった。

姿こそ陣羽織の侍だが、騎乗スタイルは完全なモンキー乗り。

騎馬武者の行列

2日目の朝、馬装のため関係者が忙しそうに飛び回るある地区の馬房を訪れた。鞍を乗せた後に装着する泥障(あおり)が目を引く。およそ60センチ四方の革製の馬具で鞍の左右に装着して使う。騎乗者の足に泥がつくのを避けるとともに、鉄製の和鐙で馬体が傷つくのを防ぐ。革の表面には細工が施され、家紋が入っていたり、絵が描かれていたりと華やかだ。

関係者の一人が語る。

「この馬の鉢巻みたいな馬具は、『三尺革』っていうんですよ。一見飾りのように見えますが、実は万が一、手綱が切れたときはここを持って馬を制御します。裏から見ると紐が交錯しているのがわかると思います」

確かに2本の紐がバッテン印になっている。緊急時に威力を発揮する戦国時代の知恵なのだろう。

ひと通り馬装が終わった。気がつけば、8時近くになっている。そろそろ会場付近の駐車場を確保しておかないと面倒だ。甲冑をつけるところまで見たかったが、なくなく馬房をあとにした。

天気は、曇天。小雨がぱらつくことはあっても本降りにはならない。それでも雨で武具が痛むのは残念だろう。

雲雀ヶ丘祭場へと向かう沿道は、すでにたくさんの人で埋まっていた。その中を先乗りの騎馬武者が駈けてくる。

「◯◯様、御到着」

大音声が響く。多くの騎馬武者が隊列を組んでやってきた。勇壮な戦国絵巻。5つの騎馬会から参加した騎馬武者は400騎を超える。延々と続く行列の迫力に圧倒される。シャッターを切る指にも力が入る。美術品として博物館でしか見られないような兜や甲冑が実際に着装され、野外に踊る。耳をすませば、蹄の音、甲冑が触れ合う音がハーモニーを奏でる。戦場の音色だ。

騎馬と騎馬の間隔は約1馬身半。乱れることなく、隊列は粛々と進む。

時間は11時。全騎が雲雀ヶ丘祭場に到着。螺の音が厳かに鳴り響く。一堂に会し、整列する様は実に壮観だ。

馬たちの脚もとを時折雲雀がすり抜けていく。雲雀ヶ丘の地名はここからつけられたのだろう。戦国時代から続く出陣の風景なのかもしれない。

式典が終わり、馬場が整備され、いよいよ12時から甲冑競馬となる。

耳の後ろに位置する、紋が入った「三尺革」の紐はハミへと繋がっている。

甲冑を身にまとった2日目の騎馬武者たち。

侍姿で馬に乗る子供も珍しくない。

凛々しい女性の騎馬武者も。